【北ノ庄城趾編】歴史好きにお勧め。福井の魅力スポットを1日で巡る

福井の礎を築いた北ノ庄城

かつて福井には、

安土城の2倍の規模を誇る巨大な町と九重の天守を持つ巨大な城がありました。

それが、柴田勝家が築いた北ノ庄城です。

福井市の都市形成もとにもなった北ノ庄城。

その遺構から当時の姿を想像しつつ巡ってきました。

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福井駅に戻ってきた

17:00

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(一乗谷朝倉氏遺跡はこちら)

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福井駅を抜けて北ノ庄城址へ

福井駅に到着後、東口から西口に抜けます。

東口にはえちぜん鉄道の駅がありましたが、

西口では、福井鉄道という路面電車が走っています。

福井駅西口では、福井鉄道という路面電車が走っています

さて、一度ホテルにチェックインしてから、北ノ庄城趾へ向かいます。

北ノ庄城趾・柴田公園

18:00くらいに到着しました。

北ノ庄城趾

北ノ庄城趾・柴田公園

今回は南側の城の橋通り側から入りました。

北ノ庄城址の案内図

※なお、福井駅からは商店街を抜けて、北側の柴田神社の鳥居をくぐって入ることもできます。

福井駅から直接向かう場合には、徒歩6分程度です。

北ノ庄ってどんなところ

北ノ庄とは、現在の福井市の古称です。

天正3年(1575年)の朝倉氏滅亡後に、柴田勝家が築城を開始したことによってその発展の礎が築かれました。

北ノ庄城の想像図

北ノ庄城「想像図」

柴田勝家が築いた北ノ庄城

織田信長は、一向一揆を壊滅させた直後の天正3年(1575)8月に越前49万石を柴田勝家に与えた。勝家は足羽川と吉野川との合流点に北ノ庄城を構築した。現在の柴田神社付近が本丸と伝えられる。

天正9年(1581)4月、北ノ庄を訪ねて来た、ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスは、本国あての書簡の中に「此の城は甚だ立派で、今、大きな工事をして居り、予が城内に進みながら見て、最も喜んだのは、城および他の家の屋根がことごとく立派な石で葺いてあって、その色により一層城の美観を増したことである・・・」と報告している。

また、羽柴秀吉が勝家を攻めたときに、その戦況を小早川隆景に報じた天正11年5月15日付の書簡では、北ノ庄城について「城中に石蔵を高く築き、天守を九重に上げ候・・・」と記しており、九層の壮大な天守閣であったことが知られる。

勝家はまちづくりにも創意を施し、城下の繁栄のために一乗谷から社寺・民家等を北ノ庄に移転させるなどに努めた。足羽川に架かる橋(九十九橋)を半石半木の橋に架設したと言われる。

柴田勝家は今日の福井市の基礎を築いた人である。

北ノ庄城

今回訪れた北ノ庄城趾は、柴田勝家が築城した北ノ庄城の天守があったとされる場所です。

柴田勝家は安土桃山時代の武将で、織田信長の家臣です。

天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いで、柴田勝家が羽柴秀吉に敗れます。

その後、柴田勝家と妻・お市の方は北ノ庄城で共に自害しますが、その際に火が放たれ城は焼失してしまいます。

柴田勝家・お市の方と三人の娘

約8年間だけ存在した城です。

現在この場所には柴田神社があり、柴田勝家とお市の方が祀られています。

福井城趾とは違うの?

福井県庁などがある福井城趾は、北ノ庄城から北に約700mほど離れた場所にあります。

福井城は、柴田勝家の後に北ノ庄に入封した結城秀康(徳川家康の次男)が築城しました。

当初は、柴田時代と同じく北ノ庄の地名でしたが、後に福井に改名されました。

九十九橋

それでは、北ノ庄城址を巡っていきましょう。

城の橋通り沿いに、再生された九十九橋があります。

北ノ庄城址に再現された九十九橋

九十九橋は半石半木の珍しい橋として全国的に知られていたそうです。

再現された九十九橋の袂にある由来の案内板

九十九橋の由来

九十九橋は、北陸道と足羽川が交わる地に架けられた橋です。九十九橋の記録は朝倉時代にもありますが、柴田勝家公が半石半木の橋としたと伝えられています。

江戸時代前期(貞享2年:1685)の『越前国地理指南』では「大橋 長八拾八間 幅三間 板橋四拾七間 石橋四拾一間」と記載されています。また、半石半木の珍しい橋として全国的にも知られていました。

九十九橋の架け替えは、江戸時代に十回以上行われ、明治7年(1874)に半石半木の橋として最後の掛け替え工事が行われています。この半石半木の橋が、木像トラストの橋に掛け替えられたのは明治42年(1909)のことです。

今回、勝家公の事績の一つとして、本公園にふさわしい半石半木の橋をイメージして、再生しました。欄干部分は往時から残されていた旧石材で、福井市浅水二日町に在住の吉田茂兵衛氏に保管されていたものを、寄贈されたものです。

なお、実際の九十九橋の位置はここではなく、西に約1km離れた場所です。

北ノ庄城堀跡

北ノ庄城址には、堀跡の石垣が露出している場所がありました。

北ノ庄城址では堀の石垣が露出している

北ノ庄城の発掘調査は、平成5年(1993年)から6度に渡って行われました。

北ノ庄城堀跡の案内板

北ノ庄城堀跡

発掘調査で確認された、福井城下層(1600年以前)の東西方向の幅が25m以上ある南北に延びる堀跡です。堀の規模から、柴田勝家築城の北ノ庄城の堀と考えられます。露出提示している石列は堀南面の石垣です。

また隣接する場所では、堀跡が想定復元されていました。

北ノ庄城址で堀跡が想定復元されていた

北ノ庄城址にある北ノ庄城と福井城の案内板

北ノ庄城と福井城

石垣西側のくぼみは、柴田神社参道脇に露出展示している石列と、土橋中央で露出展示している石列から想定復元をした北ノ庄城の堀跡です。堀は2段に彫り込まれる構造で、上段のみに石垣が築かれていました。

説明版を理解すると、下の図2箇所の赤丸の部分をもとにして、青丸の部分に想定復元していると言うことですね。

北ノ庄城址の想定復元された堀跡の説明位置図

石垣の遺構

北ノ庄城趾を奥へと進みます。

柴田神社の拝殿下には石垣の遺構がありました。

柴田神社の拝殿下には福井城の石垣の遺構がありました

この石垣は福井城のものですね。

福井城堀と石垣の案内板

福井城堀と石垣

拝殿下の石垣は、発掘調査で出土した状態のまま展示してあります。この石垣は「福井城三の丸」南に位置する曲輪の南西にあたり、当時は、今の石垣よりさらに数段高く積まれていました。堀は、ここより西へ150mつづき、堀幅は約18mありました。

柴田勝家像

柴田神社の鳥居の方に向かいます。

ビルを背にして柴田勝家の銅像が建てられていました。

北ノ庄城址の柴田勝家の銅像

見上げるアングルが格好いいです。

北ノ庄城址の柴田勝家の銅像

台座には、柴田勝家の功績が記されています。

北ノ庄城址の柴田勝家像台座に記された功績

柴田勝家公は天正三年(1575)九月ここを居城と定め 一向一揆の争乱を治め 農機具を割与し 年貢米の制度を改正して民心を安定した 九頭竜川に舟橋をこしらえ橡ノ木峠を開き 北陸道を改修して大いに土木工事を起こし 都市計画は北の庄城の構築と城下町をつくり 半石半木の九十九橋を足羽川に架け 河南と河北をつなぐなど 本日の福井市の礎をつくった ここに柴田神社氏子が中心となり 像を建立して その遺徳を永く伝たえることになった

この文章から福井の人たちが、柴田勝家公を誇りにしているのが伝わってきます。

柴田勝家像の左横から、城の橋通り方向の景色です。

北ノ庄城址では、通路にウッドデッキが敷かれていて歩きやすい。

北ノ庄城址の柴田勝家像の左横から、城の橋通り方向の景色

日向門

柴田勝家像の正面には日向門の説明版があります。

福井城の遺構です。

北ノ庄城址の柴田勝家像の正面には日向門の説明版

日向門

日向門は、福井城三の丸の南側の曲輪の南東隅に位置する門です。勝見へ通じる漆門(鳩の門)がすぐ北東にあり、主要な門ではなかったようです。今回の整備では、発掘調査で確認された礎石の痕跡を位置表示しています。

4つ石が置かれている所が礎石の痕跡です。

北ノ庄城址の柴田勝家像の正面には日向門の礎石の痕跡

土居

更に南側には土居が復元されています。

北ノ庄城址に復元された土居

「土居」とは?

「土居」とは、防壁ですね。

豊臣秀吉は「御土居」で京都を囲みました。

戦国時代後期には惣構として都市を土塁で囲った都市が多くあったということ。

なお、これは福井城の遺構です。

北ノ庄城址に復元された土居の説明版

土居

この土居は、日向門の枡形を構成する土居で、本来の高さは約3mと推定されます。百間堀にメンした側と土橋側(西)は、笏谷石で石垣が積まれていました。また、この土居南側にメンした堀は、百間堀の南西端にあたります。

ちなみに「笏谷石」とは、福井県福井市の足羽山で採掘される石材のことです。

(Wikipedia:笏谷石)

柴田神社

北ノ庄城趾に隣接して、柴田神社があります。

この柴田神社は、もともと北ノ庄城の本丸跡地と伝えられていた場所に鎮座しています。

現在の社殿は、平成10年(1998)に建て替えされたものだそうです。

その際にも、発掘調査が行われています。

だから、柴田神社と北ノ庄城趾は一体化したような造りになっているのですね。

お市の方像

柴田勝家像の後ろに建っている鳥居をくぐると、お市の方像があります。

北ノ庄城址に隣接する柴田神社のお市の方像

お市の方は、柴田勝家の正室であり、織田信長の妹です。

当時は美人で有名だったようです。

三姉妹像

更に境内を進むと、「三姉妹」像がありました。

お市の方の娘たちです。

北ノ庄城址に隣接する柴田神社のお市の方の娘の三姉妹像

この三姉妹は、柴田勝家では無く、その前に嫁いでいた浅井長政との間の娘たちです。

像の左から、

茶々(豊臣秀吉の側室、淀殿)、江(徳川秀忠継室)、初(京極高次正室)です。

天下一のモテ美人!

拝殿前です。

既に社務所は閉まっていました。

お市の方、柴田神社「天下一のモテ美人」と紹介

お市の方、「天下一のモテ美人」と紹介されています。

』と書いて『モテ』と読む。

“モテる”とは、人を惹きつけ愛されること。

きっと美しさとは、容姿だけだけではない人間的な魅力も含めた包括的な表現だということですね。

柴田神社の境内の中にも、北ノ庄城遺構があります。

柴田神社の境内の中にも、北ノ庄城遺構がありました

さて所要時間は

ここまで一通り北ノ庄城址を巡りました。

北ノ庄城址として整備されているのは、一目で見渡せる範囲で、そんなに広くはありません。

遺構を見るだけなら所要時間は30分もあれば大丈夫でしょう。

足羽川と夕陽と

北ノ庄城址を出て、足羽川の方へ歩いてみました。

18:44

国見岳の方角でしょうか。

ちょうど山に陽が沈むタイミング

足羽川の向こうの山に陽が沈むタイミング

(おまけ)やきとりの名門 秋吉は福井が発祥

夕食はそのまま片町の方へ向かい「やきとりの名門 秋吉」へ。

やきとりの名門 秋吉の片町店へ

「なぜ、わざわざ全国チェーンの秋吉に」

と思いましたか?

実は「秋吉」、ここ福井市が発祥の地で本部が置かれているんです。

ということで、本場で秋吉の焼き鳥を食べましょう!(1オーダー5本です)

やきとりの名門秋吉の純けい

秋吉では店員みんなが「社長」と「お嬢ちゃん」と、お客を呼んでくるのも面白いですね。

看板料理「純けい」と生ビールで乾杯!

やきとりの名門秋吉でビール

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